ミツオの独り言

〜ブルースを探して


 ミツオです。

今日は実家にいます。昨日名古屋でなかなか大変な仕事をして、そのまま実家に泊まったからである。

 それにしてもいつも思うのだが、すごく整然としていて無駄がないというか・・・とにかく、「ちゃんとしてる」家なのだ。ミツオがここで何十年も住んでいたというニオイなどもどこにもないくらいに、クリーンなのだ。
このブログも実家のパソコンで書いているのだが、いつもと画面やら何やら違っていて書きにくいわ読みにくいわ。
でも、ここ何年かは少しずつ実家に寄るようにしているのだ。
やはり、見るたびに年を取っていく親を見ると確かにミツオよりははるかに健康体なのだが、心配にもなるのだ。

とはいえ、未だに帰れば小言も言われるし、まだまだ子供扱いなのである。
ミツオは甘えるのが、ものすごくものすごく・・・あ、二回言っちゃった。苦手なのだ。
それはもう、照れとかはにかみとか、そんなん目じゃねえくらいに仏頂面になるのだ。どうだ、カワイイだろう。

そんなことも思いながら、クイーンを聴いている。ジョン・ディーコンのベースはもっと評価されていいはずだぞ、絶対。

 でがっ、ミツオです

 何かせわしない最近、ふと気付くと、もう坊主が今まさに走り出さんと、クラウチングの姿勢で待機しているではないかっ!

 いけないですよこれは。ミツオの時の流れではない。もっとこう・・・・油断して行こうではないかっ。パンくずをぽろぽろこぼしながら食べる子供のように。
 とは言っても、ときは止まらないのだ。
 ミツオもようやくパンくずをぽろぽろこぼさずに食べられるようになったように、物事は変化し、進んでいくのだ。敢えて「成長」とは呼ばない。
 この絶え間なく流れていく時の流れを川に例えてつづった鴨長明「方丈記」の名文はあまりにも有名であるが、その助けを借りるまでもなくミツオは世の儚さとうつろひを今日、身をもって感じたのである。
 それは・・・・
 カップヌードルである。
 それもベーシックタイプのしょうゆ味である。
 恐らく一度も食べたこともないという人は日本全国でも数えるほどしかいないのではないだろうか。年代を追うごとに様々な味のヴァリエーションも増えたが、結局残るのはカレー・シーフードそしてしょうゆなのだ。しょうゆは特に他の二つに先んじていたのもあり、カップヌードルの中心的存在。赤色だし。何でも赤色はリーダー、もしくは主人公的な扱いじゃありませんか、そういうことですたい。

 そのC・ヌードルにはキューブ型のモノが入っていた。そう、肉?みたいなもの。「コロチャー」と言うらしい。それが少し前から、品質改良されてさらにおいしく!ということになっているのだ。
 ミツオ、今日食べたのである。そしてやはり感じてしまったのだ。
 嗚呼・・・あの肉(?)が食べたい。
 そうなのだ。確かにコロチャーと言うだけあって、チャーシューっぽい肉感はアップしたし、味も向上したように思われる。しかし、しかしだ!
 ミツオが想像するアレには、アレが入っていなければ。画竜点睛を欠くといった感じ。何か大事なものが足りないのだ。
 それにしても・・・・昔のアレは一体何の肉だったのか。企業秘密ということらしいが、やはり気になる人は多いらしい。ミツオが好きな「大人計画」代表で、作・演出家の松尾スズキ氏も同様に「アレ」のうつろひと変化に一種の寂しさを覚えているそうだ。

 やはり、年をとると色々なじみのものの変化には鈍くなるのだ。愚痴っぽくなっていけねえや。

 ミツオです。

 この前の飲みすぎたあたりから、どうも風邪気味が抜けない。
 ひどくせき込むことや、熱が上がるわけでなくずっと完治しないで、ときどきタンがからむ感じ。
 まあ、熱もないので仕事には相変わらず行っているのだが。しかし、バイト君たちが倒れて来れないパターンが続いている。

 健康体だと風邪くらいで大げさなと、少しバカにするのであるがいざ自分になると、これはもう親類縁者みんなに見舞いに来てほしくなるほど弱ってしまうのだ。
 実際ミツオはあまり病気をしないのだが、一年に一度くらいは声がまったく出なくなる風邪になる。去年も正月2〜4日くらいは、ものっそいかすれ声だった。
 もう今年はそんな風邪は終わらせたと思っていたのだが、こいつがなかなかどいてくれないのだ。結構ねマスクを常時着用しているし、手洗いうがいは習慣化されている。ではなぜ?
 たぶん夜更かしのせいと、布団が夏用だからに違いない。
 ミツオはどうもマットレスというやつが苦手で、なんか背中や腰が痛くなるのだ。あの低反発まくらっていうのもあまり好きではない。
 まくらはやっぱそば殻のまくらが一番である。あのシャリ感がたまらないではないか。夏っぽいけど。ミツオの部屋にはそば殻まくらが3個ある。たった一人で住んでいるというのにだ。ミツオのちょっとした誤算である。
 ミツオです。

 今でもそうだが。ミツオはやはりベース弾きであったのだ。
 今日ウェザー・リポートという、フュージョンとは呼びたくないが、そういう分類によくされてしまうジャズバンドの「8:30」というライヴアルバムを聴きながら通勤していた。
 この伝説のバンドが伝説たるゆえんとして、ベーシストに故ジャコ・パストリアスという天才が在籍していたという事実がある。この「8:30」も彼が在籍した時期のもので、いうなればウェザー・リポートの絶頂期だったと言ってもよかろう。ミツオ個人的には前ベーシストのアルフォンソ・ジョンソンも好きなのだが、ジャコとは比べようもない。
 
 ベース弾きだから、ベースを聴くというわけではないが、どうしても耳がそちらに行ってしまう。
 昔は速く弾けることや、複雑なフレーズが弾けるとか、とにかくパフォーマンスが目立つとかが「かっこいい」基準であったのだが、年をとるにつれてその基準はどんどん変わっていった。もちろん今でもビリー・シーンの高速タッピングや江川ほーじんのパキパキのスラップを聴くと、全身が粟立つのを感じる。
 だが、自分が「やりたい」と思うプレイはやはりそうではなかった。それは今まで色々な曲をコピーしたり、色々なバンドで人と絡んでみたりして、そのたびに変化はしてきたのだが、やはりどこかで「度業者に認められたい」という願望が常にあった。
 屈折した願望だが、一般にはわからなくてもいい目立たなくてもいい、だがわかる人にはわかって欲しいというヤツだ。
 それは今日のジャコを聴いていて、ものすごく感じまた鳥肌さえ立ったものである。
 「バードランド」や「お前のしるし」「ティーンタウン」等、メロディックでベースが花形となるこれらにはみんな大喝采でとても盛り上がっている。ミツオも大好きな曲だ。
 一方で「サイトシーイング」とか、あと何だっけ?とにかくタイトルも出てこないような無名とは言わないけど一般にあまり知られていない曲でのプレイ。これがまた「かっこいい」のだ。別にメロディを弾いているわけでもなく、特別にテクニックを披露しているわけでもない。聴きどころは、全体を支配している「グルーヴ」だ。それを淡々と、ハミ出すこともせずぐっと秘めているような緊張感に戦慄すら覚えるのだ。
 だから今では「スラング」のような、ジャコのアドリブソロ曲よりも、曲の中にいるジャコのほうがゾクゾクすることがある。なんと憎たらしい。

 ちなみに最近はまた、ベースから遠ざかっているミツオには、弾きたくても弾けないわけで。
 練習しなさいと、そういうことなんだな。

 
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 で、ミツオだ。

 愛とは何ぞや!
 愛とは与え続けるものだと、さだまさしは唄った。そのとおりだ!それでも僕らはそれに飽き足らず、今日もまた愛ではないものに心奪われ、愛に似た何かを探してさまよっているのだ

 ・・・ってね。
 ミツオは、いつになったら大人になるのさ?この痛風もちのピーターパンがっ。
 すいません。それについてはノーコメントなんですが、ミツオがクソガキだってことは、自分自身よーくわかっておるのです。いや、もう本当に。

 はい。
 金もないのに、パチンコ行きました。
 もう、やめたって宣言したハズなのにっ。何が根拠で勝てると思ったかごく自然に行ってしまいました。はい。勝ってたらこんな反省じみた日記書きませんよ。
 あーそーさ!負けたさ!一回もかからずに玉砕してきたさ!おかげで今晩外食ナシさ!
 この、ミツオのあほ!ミツオアホ!ミツオホ!

 まあ・・・使っちまったものはしょうがない。
 しかし、この子供みたいな思考は考えものである。基本欲しいと思ったら、買ってしまうね。今じゃなくても、いずれ買ってるね。もう後先考えてないよね。こういうのを刹那的というのかね。
 こんなんが一家のおやじにでもなったら、わしが稼いだカネ何に使おうと勝手じゃーい、とか言って畳んだ洗濯物ぐちゃぐちゃにしそうではないか。

 でもね、でもね雨だったし。こう、部屋にいるのはもったいない感じだし。友達忙しそうだし。ちょっと仕事したし。床屋やってないし。
 まあ、いろいろ思うようにいかなかったからっすよ。
 大丈夫。
 明日にはミツオ・パーフェクト・オイルでいくから。

 もう、パチンコは、やんない。




 かも知れない・・・。blogram投票ボタン